宇陀松山城は、福島正則の弟・福島高晴の居城として知られています。
もともとは南北朝時代に秋山氏が居城(秋山城)を築いたことにはじまりますが、豊臣政権においては、伊藤義之、加藤光泰、羽田正親、多賀秀種らの居城となり、大規模な改修が行われ近世城郭へと移行しました。
豊臣秀長の大和郡山城や、脇坂安治の高取城とともに大和国支配の要として認識されていたことが伺えます。
「関ケ原の戦い」後は福島高晴が入城しましたが、1615年(元和元年)の「大坂夏の陣」において豊臣方に内通したとして、高晴は改易され城も小堀遠州らによって破却され廃城となりました。
城下町は重要伝統的建造物群保存地区に選定されており、現在も優美な町並みを残しています
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